ある主婦の日記

アダルトチルドレンと双極性障害を持つ推理小説好きな主婦。

私について。

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私という人について簡単に説明すると被虐待児で躁鬱病で月数回単発のバイト(元看護師)で働いたりもする自転車屋の妻です。

 

趣味は散歩と(といっても健康の為に)、読書(読書の好みは推理小説)、で、他はテレビのドラマを録画で見ること、時々手作りスイーツを作ること、適当に観る野球観戦ぐらいだと思う。

 

毎日何をしているかとえば、再発から3年、看護師として普通に勤務していた生活から180度代わり主婦としてできることをしながら療養という生活スタイルなので特に面白みはないです。

 

ただ、この再発時に自分が AC (アダルトチルドレン)であることを認め、その後遺症として今に至るということが分かり、泣く泣く縋るものを探す中で「自助」というものに出会い生き方が楽になったこと、それを主にここに書いていきたくなりました。

 

自助とは、言葉通り自分で「自分を助ける」こと。

 

結局精神の病というものは統合失調や躁鬱症状の薬物治療という部分では医者は確かに力にはなってくれるけれど、結局自分が自分を立て直すしか治らない部分も大きいと今私は思っている。”人を頼っても本当の内なる苦しさからは逃れることが困難”という部分を実感したから。

 

ACの人が「無力を認め命の方向を変える」とは、自分で生きてきたその生き方が間違っていることを認め、違う生き方をするということで、普通に考えたら誰も自分の生き方が間違っているとか意味が分からない話だと思う。「毎日一生懸命生きているではないか、何を言っているんだ!」と私も思ってしまうし思っていた。

 

だが、ここでは”ACの生き方”についてのことでACの人は残念ながら普通じゃない、ということをまず認める必要があるということなのです。

 

私は今までの自分の人生の生きづらさは躁鬱病の症状の影響だとは分かっていたが、”ACであるために"生きづらさがある事を自助に入って初めて知ることが出来ました。

 

”AC"の人にとって、人間として養育してくれる”親”は”普通”ではない。世代間連鎖でACの親もACと言われる。歪んだ価値観の中幼少期を生きたACはその歪んだ価値観の親に対応するための性格を築いて行くしかなく、健全な養育を受けていない。

 

その子供の時自分の親に順応するためだけに培った性格は社会に出ると大きくズレていて、その摩擦に苦しむ。そして心身を病んだり、社会で生きられないような大人になってしまうことになる。

 

それは精神科の薬じゃ治らない。と今はすごく分かる。自分で健全な生き方と歪んでいる生き方の自分の差を随時比較し、自分で健全な生き方を歩く矯正、舵きりをしていく。それが命の方向を変えるという意味だと解釈できた...

 

..そんな私の日常を書こうと思います。

 

私は日々情緒不安定で古い生き方の自分に戻り自虐的に行動したりはたまた光を見出そうとしたりして揺れながら生きています。退廃的に死んでいくか頑張るか常に綱引き状態です。

 

木のようにどっしりと根を張れる自分になりたい。

 

今日は昨日バイトで馬鹿みたいに疲れてしまい、行きたくない気持ち半分、久しぶりに少し歩きに行った。歩いて陽に当たり木々の中で呼吸したら私は救われる、自分は良いことをしたという強迫観念があってそのために外に出た。という感じ。本当はしたかったかしたくなかったか?どっちなのかも感情が鈍麻していていちいち分からない。

 

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春を感じたのは虫がバンバン飛んできたことだった。蝿が多かった。自然保護区の公園のためか動物の糞や死骸とかが多いからか分からないけれど。

 

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私の時間はゆっくりしているから、社会で働く人とは時間の流れは全然違う。昔の自分に戻りたい、今の自分が認められない、それでかなり僻んだり自分を貶めてきたが今は人はそれぞれ違うものなのだと思えるようになりその苦しみからは解放されてきた。

 

こうして今日も一日淡々と呼吸していく。

 

まずは洗濯から。